身の回りに教育に関心のある人間が多く、自分もいろいろと思うところがあるので書いていこうと思う。観点としては中等教育から高等教育周りの話題が多くなると思う。
個人的な意見であり、情報のソースが不確実である等の問題をはらむ場合があります
句読点が欠落した無駄に長い文を重ねたり等やたら読みにくい点についてはご容赦を。

私と教育

実の所両親が教員をやっており、教育には多少なりとも興味があった。当然ながら初等、中等教育は修了?したし現在は大学に在籍している。いろいろあって教職は切ったが、少なくとも最後に教育機関に所属してからかなりの期間が経過した、という方よりかは教育と関わりがある、といえるだろう。

教職を切った理由

私が現在所属する大学では、(おそらくほとんどの大学と同じように)教育学部を除く学部に於いては規定された課目を履修し、実習を行って教員免許が与えられる。私は1年前期開講の教員免許を取るなら外すことの出来ない講義の履修を途中で取りやめた。理由は主に2つある。1つめは私が工学部所属であることに起因する。結局単位を集めて実習をして与えられるのは一般に工業高校の教員をするための免許である。やるとしても普通科高校の教員かなと思っている自分としてはあまり価値を見いだせなかった。2点目はそもそも教員志望でない、ということである。当然ながら、教育学部に進学していないことからわかるとおり進路として教員を志望しているわけではない。何なら両親を見て「教員だけはなりたくねーな」と言っていた時期もあった。どーでもいい理由としては、履修を取りやめた科目が正直理解不能だったからである。細かい内容を述べることははばかられるが、教員志望であるか否かにかかわらず何の学びも感じられなかったとだけ書いておこう。

大学に進学したワケ

就職という選択肢が消えた理由、専門学校はそもそも眼中になかった。

そもそも大学に行かないという選択肢がなかった(家庭編)

身の回りの大人といえば大卒だったというのが大きい。教員をやっているといったとおり当然両親は大卒、現在まで同居している祖父母(父の両親)も同様に元教員で大卒である。田舎で近所の付き合いも薄いところで育ち家族ぐるみの付き合いをするのは親戚くらいで大人と言えば比較的近くに住んでいた母方の親族が多かった。母方の一族は教育熱心で大学進学率が10%を割っていた頃の祖父母世代に於いても全員短大以上卒、当然ながらその配偶者たち、その子世代たるわたしの親世代もといった形で身の回りの大人といえば大卒だったし、そういう人たちに囲まれて院は置いておいても大学は行くものという思想教育を受けた。

そもそも大学に行かないという選択肢がなかった(学校編)

思えば大学進学を確定的にしたのは学校選びだったのかも知れない。この記事の読者の大部分を占めるのであろう中高の同期からすればわかるだろうが、中学からある程度大学入試を見据えた指導がなされ、高校は行ってすぐには志望校選びの話題が出始めた。(進学校に比べれば遅いのかもしれないが)地元の友人と話して知ったのだが、高校が就職を斡旋する場合が多いらしくその意味で就職は現実的な選択肢ではなかった。高校に内部進学していなかった場合を考えても認知している限り(n=2)では外部の高校に進学した人も大学に進んだと聞いたし、高専進学もだいたい大学進学と同様だろう。

イマドキ教育について思うこと(その他雑感含む

GIGAスクールについて

父曰くキロスクールにもならないとのアレである。カネを国から出して端末を買わせるというアイデアは、個人的にはアリだとは思う。しかし端末選定や運用が市区町村教育委員会や学校の他、自治体などの裁量となっている部分が多くその点でいろいろ問題があるように思われる。予算の都合から主に選定されるのはChromeBookやiPadが多い。我が県に於いてはChromeBookが多数派であるようだ。社会に出てWindowsを使うのだからWindowsマシンを与えるべきだという人もいるが、快適に利用できるマシンを与えられる予算がない、というのが実情であるようだ。ただ私個人としては別の理由でWindowsマシンを利用すべきだと思っている。それは指導上の観点からだ。正直言って国内でChromeBookが普及しているとは言いづらい、そんな中で教員が使い方を知っているかと言えば、そんなことはあまり多いケースではないだろう。教員が適応するための環境が与えられているかといえばそうでないケースもあるらしく教員用の端末は当然のごとくWindowsであるし研修用途に児童生徒と同じ仕様の端末が与えられるわけでもない。(これは予算が児童一人頭一台とされていることによる。)後は純粋に教員が忙しく、順応にかける時間もない場合もあるだろう。他に気になる点としては、ネットワーク周りのトラブルシューティングを誰が行うかということである。母校には専任の職員の方がいて公式に学校が開いている日はトラブルにすぐ対処していただいていたし、BYOD(Bring Your Own Device)で持ち込んでいた端末の対応をしていただいた級友もいた記憶がある。実際の公立小中学校にそんな職員が常駐している状況はないし、市役所の職員でさえも対応には役不足である場合もあるだろう。ある意味教育と同じレベルの専門性を要求されるものを教員の職務の一部として正当化することが許されるだろうか。

大学入試制度について

高学歴(入学難易度の高い教育機関を卒業したという意味とは限らないe.g.高卒に対しての大卒)であることにデメリットがなく(大卒でないとつけない、特定の専門学校を出ないとつけない職業の存在)、大学の枠が限られており、競争が激化、あの手この手で滑り込もうとすることに問題がある、結局の所大学の就職予備校化、及び進学、就職、昇進といったヒエラルキーと研究機関としての大学の性質との齟齬からきている気がする。まあ、価値観の問題であるので仕方がない部分もあるが、教育資源の有効利用の点から言えばあまり好ましくないように思われる。そんな現状と逆行するように思われるのが多くの私立大学において適用されている指定校推薦である。大学定員厳格化により、割合が増えている場合まであるこの方式は、所謂一般組との学力差が指摘され(この前、次第に進学した友人にその愚痴を聞かされ辟易した。)最悪の場合教育の質を落とすことにもつながりかねない。教育の質と受ける者の質をマッチさせることが一つの入試制度の正当化事由として使われる中で逆行していると言わざるを得ない。学生が増えると教員が足りず質が落ちるという言説の元進んでいる定員厳格化であるが人あまりポスト足らずの現状を考えればむしろ定員を増やす方向に舵を取ってもよいのではないか。幸い?都心回帰をするなど最近の私立大学さんはお金が余っていらっしゃる様である。大卒の価値がどうとか、高等教育は万人のためのものではないという論者の方もいらっしゃるがむしろその先の修士、博士の価値に軸足を移していく時代になってきているのではないか。教育の受益者はだれなのか、もちろん個人でも有るが社会全体であることも忘れてはいけない。学なくして社会と戦うことが出来る人間などほんの一部だ。また研究と切り離された専門教育をもっぱら行う高等教育機関の拡充をするのも一つの手である。(カネばらまいときゃ解決しそうな問題しかなくねとはいってはいけない)